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名古屋城本丸御殿

2019.05.29
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「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と伊勢音頭に謡われる、名古屋のシンボル名古屋城を訪れた。昨年、復元完成し公開されている本丸御殿を見るためである。天守閣は耐震性向上と、木造復元を目指しての工事中で内部は見ることができない。本丸御殿は、徳川御三家の筆頭である尾張徳川家の住居かつ尾張藩の政庁として使用され、内部は狩野派による障壁画や豪華な飾金具などで絢爛豪華に飾られ、近世城郭御殿の最高傑作として、1930年には、城郭としては天守閣とともに国宝第一号に指定されていた。

 1945年名古屋大空襲で、天守や本丸御殿など主要建造物を焼失しているが、江戸時代の図面や、記録、第二次大戦以前に作成された実測図、ガラス乾板写真などの資料も多数残されており、また、戦時中に本丸御殿の1049面の障壁画(襖絵や天井板絵など)は取り外し保管されていたため(そのうち1047面は重要文化財に指定)、類を見ない正確さで忠実に再現されている。江戸時代の三大城郭のうち、大阪城、江戸城が江戸時代に焼失してしまったことに比べ、昭和の代まで残っていたのが幸いしたのと、精緻な資料・記録を残してくれた先人たちの努力のお蔭である。三代将軍家光が上洛する際、宿泊のために建造された「上洛殿」や「湯殿書院」など、細部まで贅を尽くした当時の武家風書院造りの最高峰の優美な姿は目を見張ってしまう。

 本丸御殿では、多くの木曽檜が使われている。木曽(長野県木曽郡)・裏木曽(岐阜県中津川市の一部)は尾張藩の領地で、名古屋の城下町建設に大量の木が伐採されるようになり、1665年から入山、伐採制限を設け、厳しい取り締まり行われ、現在は樹齢300年以上の木が多く残る森となっている。復元事業では、これらの樹木を大量に使用するため、「市民の森づくり事業」を2008年から進め、木曽・裏木曽の森に、10年間で1万本以上の檜や花、果樹、広葉樹を植樹している。

 名古屋城は、1959年には市民の多大な寄付で、鉄骨鉄筋コンクリート造りの天守閣を再建しているが、
本丸御殿に続き、天守閣も2022年完成目指し木造再建事業を行っている。木造建築の伝統技術(職人技)を次代へ継承することにもなっている。継続は力なりである。

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