御土居

2019.03.18
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少し出足が遅くなったが、梅の花を見に京都の北野天満宮を訪れた。梅苑では遅咲きの梅を見ることができ、ほのかに香りも漂っていた。娘の大学受験の合格祈願以来である。梅苑の端からは「御土居(おどい)」の土手に上がることができる。土手の上からは北野天満宮の境内が見え、樹齢600年の「東風(こち)」と名付けられた大欅も構えている。ここの「御土居」は紙屋川の堤防となっており、「青もみじ」の名所でもある。

「御土居」は、豊臣秀吉が天下統一後、応仁の乱以降長い戦乱で荒れ果てた京都を再建改造するため、外敵の来襲に備える防塁と、川の氾濫から市街を守る堤防として築かれた台形の土塁と堀から成り、東は鴨川、北は鷹ケ峰、西は紙屋川、南は九条までの、周囲22.5キロメートルに及び、天正19年(1591年)に完成したという。「御土居」の内側を洛中、外側を洛外と呼び、諸国と結ぶ街道が「御土居」を通る場所に出入口を設け、今でも鞍馬口、丹波口、粟田口などの地名が残っている。「洛」は中国黄河の支流洛水の北にあり、しばしば「長安」と並び中国王朝の首都となった「洛陽」のことで「都」を意味する。

江戸時代になると太平の世が続き、「御土居」は堤防の役割を果たしていたものなどを除いて、取り壊されて、北辺を中心に名残をとどめるだけとなった。4年前のNHKの番組「ブラタモリ」で、段差や坂に興味津々のタモリが、北区の住宅地にある「御土居」の跡を訪れていた。昭和5年(1930年)に市内に残る「御土居」のうち8か所が国の史跡に指定され、昭和40年(1965年)にさらに1か所(北野天満宮境内)が追加指定されている。

京都は「御土居」により平安京にはなかった「羅城」を形成したが、街並みは旧来の形に囚われず変化し続けている。歴史の痕跡を辿るのは面白いものである。

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