藤原京跡

2018.10.12
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 藤原京は、奈良盆地の南に位置し、694年(持統8年)から710年(和銅3年)までの16年間、都城制を敷いた初めての都である。1990年代の東西の京極大路の発見により、藤原京の規模は5.3km(10里)四方、少なくとも25km²はあり、平安京(23km²)や平城京(24km²)をしのぎ、古代最大の都である。

 藤原京は北の耳成山(みみなしやま)を頂点として、西の畝傍山(うねびやま)、東の天香久山(あまのかぐやま)とでなす、二等辺三角形の内側に中心がある。この大和の三山は古来より、神聖化されていた山で、万葉集にある中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の歌では、「香具山は 畝火(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)をあらそふらしき」とあり、「額田王(ぬかたのおおきみ)をめぐって中大兄皇子が弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と恋争いをしている」ことを託した歌だと言われている。

 藤原宮跡では、大極殿などの位置を摸造柱で示しており、秋には3万平方メートル(甲子園球場の約2倍)に7種類、約300万本の「コスモス」を咲かせ、行楽客を楽しませてくれる。「コスモス」が日本に渡来したのは明治になってからであるが、万葉ロマンの世界である藤原京、大和三山の風景にとけ込んでいる。

 「コスモス」とはラテン語で星座の世界=秩序をもつ完結した世界体系としての宇宙の事である。藤原京を造営した人々も都、国家の秩序を祈ったに違いない。

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