トップページ > 鶴見緑地便り > 岡山城と後楽園

岡山城と後楽園

2017.05.26
%e5%b2%a1%e5%b1%b1%e5%9f%8e%e3%81%a8%e5%be%8c%e6%a5%bd%e5%9c%92

岡山藩は代々外様であるが準親藩扱いの池田氏が収めた三十万五千石の大藩である。岡山城(別名:烏城)は山陽道に睨みをきかす要衝であるが、色合いから姫路の白鷺城と対比される。

城の天守閣前まで行くと、老人が近づいて来て、「太平洋戦争で焼失した天守閣を、再建した時の工事に携わった人は私ぐらいしかいなくなった」と言い、「元の天守閣の外壁は黒漆塗りの下見板なのだが、スレートで再建した」と興ざめな話をする。道理で遠目にはお化粧したようで綺麗である。

後楽園は、城の東側の防御の郭の位置づけであるが、操山を借景とした、大規模な大名庭園である。園の周囲は大きな立木で覆われ、大都市岡山の中心にありながら、ビル群はほとんど見えない。手入れも行き届き、さすが日本三名園の一つと感心する。江戸時代、大名庭園が盛んであったのは天下泰平の証であり、庭園や公園が良く整備されているところは、平和で豊か、文化度が高い。

岡山藩は、江戸時代最初の藩校を開いたり、庶民の学校、「閑谷学校」を作ったりと教育熱心であり、戦後岡山城を素早く再建するなど、岡山県民は質実剛健で郷土愛が強いように思う。

ページトップ