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熊野本宮大社

2021.10.04
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  「熊野詣」は熊野三山にお参りすることである。三山は和歌山県田辺市本宮町にある熊野本宮大社、和歌山県東牟婁郡(ひがしむろぐん)那智勝浦町にある熊野那智大社と和歌山県新宮市にある熊野速玉(はやたま)大社からなる。「那智の滝」を見に、我が家から国道169号線で南下し、三重県熊野市から新宮市経由で那智勝浦へ向かう途中で熊野速玉大社に寄り、滝の直ぐ傍にある熊野那智大社にお参りしたことは何度かあったが、内陸部へ少し奥まったところにある熊野本宮大社は今までお参りしたことがなかった。「熊野詣」の一番大事な所をないがしろにしたような気持ちでいたが、今回は熊野本宮大社を目的地とし、奈良県五條市から国道168号線を南下。東京23区より広い十津川村を縦断し、3時間ほどで熊野本宮大社に着いた。

   JFE(日本サッカー協会)のマークとして有名な「八咫烏(やたがらす)」の幟(のぼり)に導かれ、鳥居をくぐり、100段ほどの石段を登ると、2004年に世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として登録されている四つの社殿が並んでいる。熊野本宮大社は3世紀後半に、熊野川の中州である大斎原(おおゆのはら)に創建されたとされ、上四社、中四社、下四社など様々な建物が立ち並んでいたが、1889年の大洪水により、上四社以外の建物は全て流されてしまい、残された上四社を現在地に移転したものである。第一・二殿は入母屋造、第三殿と第四殿は正面が切妻造庇付き、背面が入母屋造の独特の様式である。年月を経た木材の色合いが落ち着いた景観を醸し出しており、檜皮葺(ひわだぶき)の屋根のカーブの美しさに見とれながら、左の第一社殿から順番にゆっくりお参りした。

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   熊野本宮大社から熊野川の中州である大斎原(おおゆのはら)に向かう。熊野川の広い河原の堤の内側に2000年5月に竣工した幅42m、高さ34mの日本一の大鳥居が辺りを圧倒している。旧社地には、中四社、下四社と摂末社の祭神を祀る2基の石祠が今はあるのみである。熊野は本来の神=自然信仰から、奈良~平安時代にかけて仏教・密教・修験道の聖地ともなり、神仏習合(神=仏)の考え方が広まり、平安時代の末には「浄土への入り口」「よみがえりの聖地」として、京都から熊野古道を通って上皇や貴族の一行が何度もお参りするようになった。室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まり、絶え間なく参拝に訪れる様子は「蟻の熊野詣」と例えられたという。

   この大鳥居も「八咫烏」を掲げているが、「八咫烏」は日本を統一した神武天皇を大和国の橿原まで先導したという神武東征の故事に習い、導きの神として篤い信仰がある。来る途中で、奈良交通の日本一距離の長い路線バス(奈良県橿原市の近鉄大和八木駅とJR新宮駅との間166.8km、所要時間6時間30分ほど)とすれ違ったが、この路線バスのルートを「八咫烏」は案内したのであろうか。
   熊野三山へお参りする「熊野古道」はよく整備されトレッキングやハイキングコースにもなっており、神々が籠る深山幽谷をめぐり、心洗われる聖地を訪れ、温泉にゆったりと浸かるのも良いのではなかろうか。

 

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