一乗谷

2021.03.17
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 北陸道福井ICから足羽川(あすわがわ)沿いの県道を走りJR越美北線の踏切を越え、すぐに右折すると一乗谷である。谷あいは、家屋もほとんどなく、以前は田畑であったであろうと思われる空間は「一乗谷朝倉氏遺跡」として広がる。戦国大名朝倉氏の城下町は、織田軍により火を放たれ灰燼(かいじん)に帰したが、江戸時代は農村となり、近代化の波が押し寄せることもなく、遺構の大半は地中に残った。1967年から発掘調査が開始され、1971年に特別史跡、1991年に4つの庭園が特別名勝に指定。2007年には多くの出土品が重要文化財に指定され、遺跡は調査結果に基づいて街並や庭園などが復元されている。

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 「復元町並」に入ると、戦国時代にタイムスリップしたかのようである。約200mにわたる道路に面して山側には上級武家屋敷群、反対側には中級武家屋敷群と町家群が並んでいる。武家屋敷は発掘調査で見つかった塀の石垣や建物の礎石を使い、周囲に土塀をめぐらし、道路に面した門構えである。職人等が住んだ町家は、敷地も狭く建物が直接道路に接している。どこも敷地内に井戸をもち、トイレやゴミ捨て場と思われる石積遺構や排水溝も多く、インフラが整備された城下町であったことがうかがえる。

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 1471年から1573年まで朝倉氏は五代にわたって一乗谷で越前を統治したが、1.7km程の狭い谷あいには、当時1万人ほども住み、京の貴族や僧侶などの文化人が多く訪れるほど隆盛を誇った城下町であったとのことである。「復元街並」の入り口で頂いた遺跡の散策マップを見ながら、館跡や庭園を巡ると、朝倉氏の京の雅さへの憧れとともに、上洛が叶わなかった怨念のようなものを感じる。

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 遺跡を散策した後、3kmほど一乗谷川をさかのぼり「一乗滝」を訪れた。一説にこの近くが生誕地と言われる「佐々木小次郎」の像が滝の前に建てられている。この滝で秘技「燕返し」をあみだしたと説明文に書いてある。「燕返し」は吉川英治の小説「宮本武蔵」での創作と言われているが、鍛錬、修行の場として相応しい滝である。
 「燕返し」ならぬ「とんぼ返り」で「一乗滝」を後にして福井市内へ戻ったが、「一乗谷」の栄枯盛衰の跡は中々味わい深いものがある。

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